小学生の低学年だったと思う。
はじめて手巻き式の腕時計をもらった。
長針と短針がミッキーマウスの腕の服部セイコーのやつだ。芥子色の革のベルトが珍しくて気に入っていた。でも、ぼろぼろになってしまったので、M氏の時計を作ってもらっている時計屋さんでリザードのベルトに交換してもらった。その時、「もうこの子の心臓はギリギリな感じだけどギリギリでもちゃんとまだ動いている感じやね。」と言われて、少しでも止まらないで欲しいなと思ったんだった。
正月におじちゃんが遊びに来て帰る前には、父と同じくらいおじちゃんとは色んな遊びをした。六畳間のタタミの上でおねだりしてはじめてヘリコプターをしてもらった。メリーゴーランドと言って宙ぶらりんでぐるんぐるん回してくれたり肩車もしてくれた。
花火大会の時に、「ファミリアで買ってきたんだよ」と言って、スヌーピーの白いトレーナーをもらった。妹は何だったか覚えてないが、お姉さん扱いされた気がして嬉しいのに妹に気が引けた。それもずいぶんくたくたになるまで着ていたと思う。東京はいちいちおしゃれだなと思った。はじめてのスヌーピーグッズだったと思う。
地元の夏祭りの時に、繁華街の喫茶店にはじめて入った。名曲喫茶みたいな昭和の広くて薄暗くてビロードな床に革張りのソファーのボックス席。家族とおじちゃん、おばちゃんとで外でお茶をするという行為に緊張した。そこではじめて憧れのフルーツパフェというものを食べた。この特別な味を絶対忘れないでおこうと思った。喫茶店はその当時、大人の空間にこっそりお邪魔したような感覚だった。
企業の独身寮の調理場でおじちゃんとおばちゃんが働いていた時には、たまに遊びにいって調理場で手伝ったり邪魔したりしていた。大根の桂剥きを教えてもらったけど上手く出来なくて、初めてタマネギのみじん切りを教えてもらってそういうことなのかと感動したんだった。おじちゃんが若かりし日に家出までして熱海の料亭で取得した包丁さばきはプロだった。
大学に進学するのを親に反対された時にも、東京で下宿するのがダメならおじちゃんとこに世話になると言って親を困らせた。その時もそれでもいいと言ってくれたのもおじちゃんだった。
結婚を反対された時も一番に相談した。あの時も味方になってくれたんだった。
エクセルを使えないと収支報告とか作るの大変なんだよなと言って電話をかけてきてくれた時、今度行って簡単にベースを作ってあげるよと行ったのに行けなかった。
両親の体を心配して電話してくれた時にもきっと自分の方が身体大変だったろうに、その時も会いに行けなかった。
最後に話したのはいつだったのか会ったのはいつだったのか。何年も身体が弱ってしまった時には会いに行けなかった。
色々ごめんなさい。もっとどうすればよかった思う自分も恥ずかしいと思った。
白い骨を長い箸で片方つかみながら現実を受け止めて後悔した。
東京で住むようになってからもおじちゃんは私にとってずっと”東京のおじちゃん”だ。
時計を出して見てみたら秒針が滑らかに回っていた。
ありがとう。
時間が少し経って、急なことにまだ現実な気がしない。